とんでもなく泣いている
2019年3月23日、嗚咽をしぼり出し、ぱんぱんに腫れた目でディスプレイを睨みながら書いている。
大きな悲しいことや、つらいことがあったわけではないが涙が止まらなくなってしまった。
そんな中でも文章を書いてるのは、今の自分にしか書けないものがあるのではないか。という奢り。そして雑草心からである。雑草魂なんてない、心くらいである。
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周りの人から見たら一目瞭然である大きな課題が私からは見えておらず、また見ることをやめてしまったせいでここまでのことになってしまった。
今日は朝からSlackを開き、頼まれていた仕事を断り続ける作業をしている。(と言っても2件しか断れていないあたりに意思の弱さを感じる)
ごめんなさいごめんなさい
こんなになってごめんなさいダサいです
期待に応えられない自分につらいです
仕事を手放すことが、人を手放すことに思えて怖いんです
ごめんなさい
自分の24時間をこえた仕事量、自分の今できるスキルを超えた仕事内容。
どちらも嬉しいことだけど、そりゃ一人でやるのは無理だった、というオチである。
人生はじめて「マネジメントされてぇ」という気持ちが浮かんだのであった。
たぶん、うつ病の初期なんだろう。
自信がなくなった、性欲もぱったりなくなったし、食欲だけは時折爆発、たまにとてもテンションが高い。
私は自信がないから、人から仕事を頼まれると「必要とされた」と思ってすごく嬉しい。
自分の特殊スキルなんて何もないのに頼んでくれたことが嬉しい。
そう思って真面目に、責任もって、一生懸命やってきたら仕事ができる人と言われることも増え、フリーランスになっても仕事に困ることはなくなった。
でも、仕事が多すぎて死んでる。
どれも適当にやりたくない。みんなの気持ちが乗っかったサービスを足蹴に出来ない。
そんな気持ちで勝手に他人の人生を背負った結果、自分の人生が見えなくなった。
仕事を終わらせることが目的になり、魂をこめたかったものにも魂は込められず、当然宿らず、何にもならないものを量産している。
私はこの30年何を食べて何を感じて生きてきたのか、全部むだになった気がした。
新しい映画や音楽、人に会うのもつらく、学生時代に聴いていたJUDY AND MARYの曲だけを繰り返し聴いている。
YUKIの声はどんな時でもハッピーで、エッチでかわいい。
たくさん泣いて、幸せになるハーブティーを飲んだけどハッピーにはならない。
仕事を手放して落ち着いていれば楽になるのだろうか。
私は一体なんでこんなに悲しくつらいのだろうか。
何者にもなれていない自分への自分からの嘲笑、哀れみ、そして「もっと私を見て」という自分からの叫びに向き合ってこの気持ちが解決することがあるのだろうか。
わからない。